第2部は、「死刑囚の表現をめぐって」と題して、大道寺幸子基金の発表とシンポジウムでした。大道寺幸子基金とは、死刑囚の母、故大道寺幸子さんが残した基金を、死刑囚対象に絵画や文学などの作品を募集し、再審請求の費用の補助や展覧会に使うというものです。
審査員のかたたちのお話がありましたが、長編小説などはかなり読むのもつらそうです。毎日悪夢にうなされたとか。
アメリカでは、フィラデルフィアでHealing Wall といって、被害者加害者が刑務所で話し合って壁画を描いたそうです。また、被害者遺族と加害者家族が和解の旅をしようというJourney of Hope を三人の娘を殺された父親が提唱したそうです。
安田弁護士から韓国で死刑廃止デーに行われた「宣布式」(死刑が10年停止され、廃止する法案が出されることを祝う)の様子の報告がありました。
その後、安田弁護士の司会により、鈴木宗男氏と佐藤優氏の鼎談が始まりました。印象に残ったところを書いてみます。
鈴木宗男氏:5年前マスコミの大変なバッシングに会い、田中真紀子=善、鈴木宗男=悪という色分けをされた。宮野さんは談合をしたと言われた当日、脳の手術をして療養中で、通話記録からもその場にいなかったことがはっきりしていたにもかかわらず、他の6人の証言が一致していたからと有罪になった。国会は、本人の弁明も聞かず逮捕許諾を出し、離職勧告を決議した。捕まってみると、検察は自分の描いたシナリオに沿って外堀から産めて行き、参考人の弱みにつけこみ証言させるとわかった。保釈の決定権は裁判所にあるのだが、検察のいいなりで、証拠隠滅と逃亡の恐れがあるとの理由で釈放が認められなかった。今更証拠隠滅といっても2度も家宅捜査がはいっているし、この顔でどこに逃亡できますか?
佐藤氏:鈴木さんにかぶせればすぐ出られたが、後ろめたさにビクビクして暮らすのはいやだった。「国策捜査」という言葉は私が考えたのでなく、検察が言ったことばである。
佐藤氏も主観的なことについては検察が片っ端から物語を作ると語っていました。
どうやって長い日数拘束されても頑張れたのか?という問いに
宗男氏:やったことなら別の戦い方があったが、やっていない。何の権限も持っていなかった事務員が癌の大手術をして放射線治療中だというのに捕まったときは、治療ができないと困るので検察のいうとおりに言っておきなさいと言った。もうだめかと思ったが、妻と娘が励ましたくれた。
佐藤氏:「巨匠とマルガリータ」という作品に「強いものからの恩恵はもらっておいてよいが、自分からお願いしてはいけない」ということばがある。早く出たいと思ったら負け。
日本の裁判では、99,9パーセントが有罪になる。しかも1審で無罪でも80パーセントがひっくりかえされる。これで法治国家といえるのか?という話になり、ご自身が官僚だった(休職中)佐藤氏によると、官僚でない人は1000人にひとりしか無罪にならない、と考えるが、官僚はひとりでも「無罪を取られた」という表現をし、出世コースからはずれるのだそうです。
無実なのに懲役よりひどい拘禁が行われる、 不当な冤罪をつくる検察を裁判官が起訴するべきだという意見が出ました。
また、「迅速化」ということで2年というタイムスケジュールに納められるため、鈴木氏の場合、弁護側の証言は聞いてもらえなかったそうです。
まず官僚や検察など司法がマスコミにリークし、大きな記事にした記者はまた次に情報を貰え、出世するのだという両氏の意見に対し、安田弁護士からは、それは5年位前のことで今はマスコミが2ちゃんねる化してエンターテイメントになってしまっている、事実などどうでも吊るし上げる、との意見が出されました。
刑事司法は死刑に耐えられるかという質問に、鈴木氏は今人の命にかかわる制度そのものを考えるべきと述べ、佐藤氏は拘置中に死刑囚と思われる人たちがまわりにいて、中のひとりが、半年に1度だけ許され母が面会に来たとき、筋肉の落ちた足でサンダルをはいてよろけるように駆け出していった後姿が忘れられない、なぜそんな罪を犯してしまったのか語り続けることで、殺人を減らすことができるのではないか、と話しました。
裁判員制度により、死刑に国民が動員されることで、世の中はもっと悪くなるだろう、憲法には裁判員になる義務など書かれていない、憲法違反ではないか?思想調査のようなことをされて黙秘の権利はなく、表決の意見を言わないと罰せられる、、徴兵の義務への距離はないとの指摘がありました。
佐藤氏は鳩山発言を聞き、「抵抗のプラハ」というアニメを思い起こしたそうです。自動的に次々死刑にする、それを許容する国民は、ナチズムやスターリニズムに繋がる。
世界の潮流に反して死刑が増えれば「東洋の神秘」などと思われ、国益に反する。議論の間はモラトリウムにするべき。結論として、死刑は宗教・信念以前に政治的問題であるから、政治的課題としてとりあげてほしいということでした。
(文字色による強調はヘリオトロープ)



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>自動的に次々死刑にする、それを許容する国民は、ナチズムやスターリニズムに繋がる
というの、分かりますね。
地方にいると、こういった講演を聴く機会が多くはありません。また何かの折りには、話の内容を教えてくださいね。
と言っても、行く道を間違えまくって遅刻参加でしたが‥‥。免田さんの話の終わりくらいに駆けつけた次第です(-_-;
東拘三兄弟(笑)の話は、なかなか面白かったですね。
文章が長くなってしまうと読みづらいだろうなあと思いつつ、いらっしゃれなかったかたのためにと思って書いていますが、文章力がないのでどこまで正確に伝わるのか、ためらいがあります。でも、ご参考のため、また興味深いお話など聞いた時にはご報告しますね。
sasakichiさま
興味が共通しているところがあるようですね。
官僚の世界は上下関係が体育会系のようなすごさだと聞いたことがありますが、裁判の世界にまでそれが行き渡っているなんて、絶望的な気分になりますね。国民の興味が犯罪者を厳罰にすることばかりでなく、そちらにも向けばよいのですが。
世界の流れは死刑廃止へと向っています。
また日本は平安時代に300年の間、死刑廃止の歴史を持つ国ですし、死刑制度は日本の和の精神とも相容れません。
日本政府は今すぐ死刑制度は廃止すべきだと思います。
鳩山発言にはぞっとしますね。死刑賛成の人の中には、日本にはキリスト教国のように敵を許す発想はなじまないなどという人がありますが、仏教こそ非暴力で慈悲を重んじていたはずです。
最近マスコミに煽られて本来善良な市民のはずの人たちまでが極刑に!と叫んでいますが、「犯罪者は殺してもよい」という発想は、自作自演テロでもあればいっきに「テロリストのいる国の人なら殺してもよい」「人種が違えば殺してもよい」などという方向に行きかねないと思います。格差社会のガス抜きと戦争ができる国の下地づくりとしか思えません。