村野瀬玲奈さんが翻訳してくださった、1981年、当時フランス法務大臣だったバダンデールの演説をお読みになってみてください。
バダンデールの演説全訳文
この中に、「戦争と死刑廃止は両立しない」ということばがあります。最近厳罰化ということで、死刑判決が増えていますし、執行も長勢法務大臣になってからもう10人も執行されています。中には足が不自由で両側から刑務官に支えられて執行された人もいるそうです。こういう流れは、「悪いヤツなら殺して当然」→「敵なら殺して当然」と、命を奪うことに対する感覚を鈍感にさせる方向に導かれている気がします。北朝鮮の拉致被害者同様、またしても、被害者家族の肉親への想いが利用されている気がします。
私だって、自分の身にふりかかったなら、あんなヤツ死刑に!と叫ぶでしょうから、偽善者と呼ばれてもかまいませんが、では、被害者がかわいそうだから、あんなヤツ死刑に!と叫ぶ人の中には偽善者はいないでしょうか?人の生殺与奪の権を握っている気になっている人はそうそういないとしても、加害者が死刑になっても、被害者はそれで新しい生活を始められるというわけではなく、ずっと苦しみが続くのに、たいていの人はすぐにほとんど忘れてしまうでしょう。
「被害者感情」といっても、自分達に都合が悪い被害者感情には耳を傾けようとしないのは、なぜでしょうか?(皆が皆そうだとひとまとめにはするのは間違いですが)
この前お話を聞いた原田さんは、とてもおだやかな話し方をされるかたで、ご自分の苦しみについて詳しく長く語られることはされなかったのですが、最初から今のような境地になられたわけではなく、人生も狂わせられ、たいへんな苦悩の中から光を見出そうと努力なさってきたかたです。その重みのあることばに、多くのかたが耳を傾けていただきたいと思います。
原田正治さん「弟を殺した彼と、僕」
「死刑制度があるから、死刑にしちゃえ、それで事件は終わりだというのでは、あまりにも短絡的な考えじゃないか。死刑制度のことをよく知らないまま、被害者感情、国民感情という言葉を安易に使っていることもそうです。事件が起きた、死刑にしちゃえばそれですむんだ、という考え方では、本当の解決にはならない。」
最初にひとり殺したけれど保険が出なかったので、人生これからという若者に保険をかけて何食わぬ顔で毎日接し、ある日鉄パイプで殴り殺して事故にみせかける、その上、その兄に借金を申し込む、そんなことをする人が改心することなんて、あるのか、と思いますよね。闇金融に執拗に返済を迫られて頭がおかしくなっていたとしても。人間の心には計り知れないところがあると感じます。



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