最初のひとつを読みましたが、1940年代に書かれたとはいえ、少しも古びていず、今日本で、世界で起きていることの本質はここにあるのだと思いました。
現代以前には市場は自給自足を補う付録のようなものであり、現代のような市場社会は特殊なものだとポランニーは書いています。
たとえば、封建時代には土地は封建制の土台であったし、ギルド制においては、賃金は規則で決まっていました。けれども自己調整的市場では、社会の経済的領域と政治的領域が分離します。経済が分立するのです。
「市場経済とは市場によってのみ制御され、規制され、方向付けられる経済システムであり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的なメカニズムにゆだねられる…市場の形成を阻止するものがけっしてあってはならないし、所得は販売以外の方法で形成されてもいけない」
このような制度は社会がその要請にある程度従属しないかぎりありえない、つまり市場経済は市場社会においてしか存続できません。
(「小さな政府」「規制緩和」とはこのことなんですね)
市場には産業のすべての要因が含まれるので、産業の重要な要因である労働、土地、貨幣も含まれてしまいます。労働は生活それ自体に伴う人間活動の別名であり、販売のために生産されるのではなく、まったく別の理由のために作り出されるものです。土地は自然の別名でしかなく、人間によって作り出されるものではありません。貨幣は購買力を示す代用物にすぎず、生産されるものでなく、金融または国家財政のメカニズムをとおして出てくるものです。これらはいずれも販売のために生産されるのでないので、これらを商品とするのは、擬制(フィクション)なのです。
ポランニーは市場メカニズムが人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、それどころか、購買力の量と用途の支配者になることを許すだけでも社会の倒壊を招くだろうと警告しています。
「なぜなら、商品とされる『労働力』は、この特殊な商品の担い手となっている人間個人に影響を及ぼさずには、これを動かしたり、みさかいなく使ったり、また、使わないままにしておいたりすることさえできないからである。このシステムは、一人の人間の労働力を使うとき、正札に付着している一個の肉体的、心理的、道徳的実在としての『人間』をも意のままに使うことになるであろう。(中略)自然は個々の要素に還元されて、近隣や景観はダメにされ、河川は汚染され、軍事的安全は脅かされ、食料、原料を生み出す力は破壊されるであろう。(中略)たしかに、労働市場、土地市場、貨幣市場は市場経済にとって本質的なものであることは間違いない。しかし、ビジネスの組織だけでなく、社会の人間的、自然的実態が、粗暴な擬制のシステムという悪魔の碾き臼の破壊力から保護されなければ、いかなる社会も、そのような粗暴な擬制のシステムの力に一時たりとも耐えることはできないであろう。」
アメリカのような格差社会ほど犯罪が多いことや第3世界の飢餓を見ると、粗暴な擬制のシステム(すべてが市場原理により動く社会)により、人間は悪徳、倒錯、犯罪、飢餓などの社会的混乱の擬制になって死滅するだろうというポランニーの警告が正しいのだと思わずにはいられません。そして「小さな政府」は勝ち組の大企業に仕えて、社会福祉などを切り捨て、ホワイトカラーエクゼンプションやら共謀罪(テロなんとか法と名前が変わっても中身は変わりませんよ)など作ろうとしているように思えます。



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ずいぶん前から警鐘されていたのに,その方向に突き進んでいるのだと考えると,ちょっと暗くなってしまいますが,自分が今感じていることは間違ってないんだとも思えて,だいぶ元気になります.
「怒りの葡萄」なんかも、昔の話と言い切れないように感じる今日この頃です。鋭い人たちは気付いていたのですね。